

インディ500制覇をはじめ、アメリカのCARTインディカーで実績を挙げたエイドリアン・ニューエイが、初めてF1マシンを手掛けたのは88年。同年16戦15勝と圧勝したマクラーレンMP4/4・ホンダに、時に匹敵する速さを見せたマーチ881だ。ターボエンジン最後の年、マクラーレンは当時最強と謳われたツインターボのホンダV6を搭載。対してマーチ881のエンジンは、非力な自然吸気(NA)のジャッドV8。そのパワー差を鬼才によるエアロダイナミクスで補ったと言っても過言ではない。
当時のレギュレーションでF1マシンの下部はフラットボトムーー平らでなくてはならず、チャップマン時代のF1やインディカーのような飛行機の翼を逆にして、マシン全体でダウンフォースを得る形状は採れなくなっていた。さらに予選時には1000馬力を越えたといわれるターボエンジンは88年限りで禁止となり、89年からは全車が600〜700馬力のNAエンジンで臨むことになっていた。そのような状況下で、いかに有効なダウンフォースをF1マシンから発生させるか。ここに大学で航空工学を学んだニューエイが現代F1では当然となっている、エアロダイナミクスという考え方を持ち込んだのだ。
マーチ881の独特なマシン形状は、同じく空力のスペシャリストであるロリー・バーンがデザインしたベネトンB188とともに、同年の他のF1マシンとは一線を画すものだった。ホイールベース2854.9mm、前後トレッドは1778mm/1676.4mm。モノコックはコクピット前方に向かって微妙に絞られ、細いニードルノーズへとつながっている。ノーズ内部にはわずか25cmという狭い幅のフットスペースしかなかった。低めのサイドポンツーンは複雑な形状で、さらに側面は後端に向かって絞られていた。コクピット開口部は極力狭く、ヘッドレスト部分にもヘルメットが収まるようなエグリが設けられ、大型のフロントウイングやディフューザーと合わせ、隅々までエアロダイナミクスを意識していた。
シーズン序盤はこの年から使用することになったジャッドエンジンと、マーチのCARTカーのトランスミッションをベースに新設計された6速ギヤボックスにトラブルが相次いだ。日本のレイトンハウスのサポートにより10年ぶりに前年87年にワークスチームとして復帰したばかりのマーチのF1での経験不足もあったが、何よりアメリカを主戦場にしていたニューエイにとって「見るサーキットのほとんどが初めて」というF1初心者状態だったのだ。それでも同じジャッドエンジンを使うウイリアムズのフィードバックも手伝い、エンジンの信頼性が上がっていくにつれ、マーチ881はその速さを披露し始める。開幕戦ブラジルGPで矩形だったエアボックスは、第4戦メキシコGPから空力を意識した形状に変わった。シーズン中盤、特に第8戦イギリスGP以降は、イワン・カペリがコンスタントに予選トップ10に名を連ね、マウリシオ・グージェルミンの的確なフィードバックも881の速さに磨きをかけた。
ダウンフォース増を目指し、レースごとに様々な形状のフロントウイング(時に前後2段型)や翼端板、長短フロントノーズを持ち込んで試し、サスペンションのピックアップポイントも変更した。右コーナーに合わせてフロントウイング右側の翼端板だけにスカートを付ける、空力的に興味深いセッティングを施したこともあった。
第15戦日本GPでの“たった1周のラップリーダー”で、マーチ881の速さを覚えている方もいるだろう。アイルトン・セナが初のタイトルを決めたこのレース、序盤をリードしたのはセナのチームメイトであり、タイトルを争っていたアラン・プロスト。ふたりが駆ったマクラーレン・ホンダは鈴鹿までに合わせて13勝を数えており、同じホンダV6ターボのロータスさえ近づけない、異次元の速さだった。
予選4位のカペリはポールのセナがエンジンストールして後退したのにも助けられ、スタートで3位に。さらにゲルハルト・ベルガーの、これもターボエンジンのフェラーリをかわして2位に上がり、自身の最速ラップを叩き出しながら、プロストのマクラーレン・ホンダとのギャップを縮めていった。ストレートではマクラーレン・ホンダに敵わなくとも、コーナーでは明らかにマーチの方が速い。このときプロストは、わずかだがギヤボックスにトラブルをかかえていたのだ。
ついにマクラーレンの背後にマーチが迫る。そして16周目、シケイン立ち上がりでプロストがシフトミス。その機を逃さずスリップに入ったカペリは、ストレートを駆け下りながらプロストの左へ。トップでコントロールラインを通過したが、ホンダのパワーにモノを言わせたプロストが1コーナーまでにカペリを抜き返した。わずか400mほどのトップだったものの、最初にコントロールラインを通過したのは紛れもなくカペリのマーチ881であり、カーナンバー16と同じ16周目のラップリーダーに刻まれたのだ。カペリ自身初のリードラップであり、ターボとNAが混在していた88年、全16戦のうちNAエンジンがラップリーダーとなったのは、この1周だけだった。
再びプロストを追う立場となったカペリは20周目、突然ジャッドエンジンが止まり、惰性でストレートまで戻ってきて完全に止まってしまう。トラブルの原因は不明だったが、レース後、一発でエンジンはかかったという。レースに「たられば」は禁物だが、もしジャッドが順調だったら、マクラーレン・ホンダのセナ、プロストに続いて表彰台に上がったのはカペリだったかもしれない。
当時ニューエイは「マシンデザインの最優先事項はエアロダイナミクス。ここから他のデザインのすべてが発生する。それからサスペンション、エンジンの順だが、コンストラクターにとってエンジンはできないことが多すぎる。できるだけパワーがあり、信頼性の高いエンジンが欲しいとしか言えない」と述べている。
翌89年、エンジンはどうすることもできないと言いながら、ニューエイは低重心化を目指してジャッドに狭角76度のV8、EVを専用に作らせ、881のエアロダイナミクスをさらに突き詰めたマーチCG891をデザインした。ところが神経質すぎるマシンはセッティングが決まれば圧倒的な速さを見せたが、後方グリッドに沈むことも多く、予選落ちを喫したこともあった。ジャッドEVの低い信頼性も足を引っぱり、さらなる飛躍を目指したカペリは1度も入賞できず、マウリシオ・グージェルミンも旧型881で臨んだ開幕戦こそ3位表彰台に上がったが、以降は入賞することもなかった。
余談だがニューエイは当時、F1とアメリカのCARTを比較し、「技術的にはF1は(CARTと)全く異なり、より多くのことを要求される。CARTは市販基本でコストの制限があるから、困難なデザインや高価なデザインはマニュファクチャラーには厳しい。対してF1は使える金額が比べ物にならず、そのコンペティションは強烈だ……そして、フレンドリーとはかけ離れたシリーズだとも思う。CARTではライバルのドライバーやエンジニアがいっしょに食事をするが、F1ではありえない」と評している。