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名車列伝

F1の歴史の中には時を越えファンの記憶に残るマシンがある。圧倒的な速さでシーズンを席巻したマシンのみならず、ユニークなアイデアや斬新なカラーリング、その美しいフォルムで我々を魅了した名車の数々をここに紹介。

マクラーレンMP4/8(1993年)

エンジン
フォードHB
75度V型8気筒
ドライバー
7 マイケル・アンドレッティ
7 ミカ・ハッキネン
8 アイルトン・セナ
戦績
優勝5回
PP1回

薫風のモナコGPが近づくと、“モナコマイスター”アイルトン・セナを思い出す。あの悲劇がなければ今年ちょうど50歳。アイルトンは何をしていることだろう。甥ブルーノのF1デビューに目を細めていたか。それとも、最後のライバルだったミハエル・シューマッハーのF1復帰を楽しんでいたか……。

今なお破られていない、モナコGPでの通算6勝。その6勝目、奇跡的な93年のセナの勝利を演出したのが、マクラーレンMP4/8だ。

セナがマクラーレンに在籍した6年間で、MP4/8はシャシー単体が持つ純粋なポテンシャルとしてベストであったと言って良いだろう。92年限りでホンダを失ったマクラーレンに彼はもはや魅力を感じなくなっていた。だからこそ新車をドライブするまで93年の契約はしないという駆け引きに出たのだ。

そんなセナを良い意味で裏切り、MP4/8は彼の心を引きつけることになる。マクラーレンはカスタマーエンジンの雄であるフォード・コスワースからの供給を取り付けた。もちろんホンダV12と比べれば非力なのは瞭然。しかし、V8のフォードHBは思わぬ利点を発揮する。それまでホンダの絶大なるパワーに頼り切っていたと思われがちだったマクラーレンの技術陣だが、彼らからすれば「ホンダ・エンジンの重量とサイズでは、やりたいこともできなかった」のだ。ホンダとの離別は、ある意味で“呪縛”から解かれたと言えなくもなかったのかもしれない。

ニール・オートレイとアンリ・デュランを中心に、MP4/8は徹底したエアロ開発が施された。ホイールベース2902mm、前後トレッドは1692mm/1607mm。ベネトンタイプの吊り下げノーズが増えていく中、スラントノーズにこだわりを見せたが、ノーズ下は大きく持ち上げられるハイノーズを採用。これによるサスペンションのピックアップポイントの設計自由度が低くなることを嫌い、フロントサスペンションのロワアームはモノコック直付けではなく、キール状のものをノーズ下にはわせ、そこにマウントした。これはセンターキールマウントの走りと言える。コクピット脇には大きな“整流板”ディフレクターを装着、これもバージボードの先駆けと言っていい。このようにマクラーレンの技術陣は意欲的に新しいアイデアを採り入れ、近代F1空力史に影響をもたらす切っ掛けを作った。
“重厚長大”のホンダV12に比べ、“軽薄短小”のV8のフォードHBエンジンは車体開発に思わぬ自由度を与えることになった。低燃費でドライバビリティに優れるHBを搭載したMP4/8を初めて駆ったセナは、自分の意のままに操れるマシンに高い可能性を見出した(雨のヨーロッパGP、ドニントンで見せた現実離れした走りの一因はここにも隠されている)。ドライバーフレンドリーなそのキャラクターにセナはシーズンを懸ける決心をするが、マクラーレンとの契約を渋った。同じHBユーザーであるベネトンと同スペックを要求したのだ。しかし、HBのワークス『シリーズ7』はベネトンが独占供給権を持っており(この時点で両者の関係は7年目を迎えていた)、後追いのマクラーレンが付け入る隙などなかった。実際のところフォードは好意的(そのためにインディカー王者のマイケル・アンドレッティを獲得したようなものだが、彼は最後までMP4/8を乗りこなせなかった)だったが、ベネトンが首を縦に振らないと言った方が適切だった(特にフラビオ・ブリアトーレ)。

セナは同郷ブラジルの先輩、エマーソン・フィッティパルディを仲介役にインディカー(マールボロ・ペンスキー)のテストに参加したり、1年間の休養をちらつかせるなどして、交渉のテーブルにつくロン・デニスにプレッシャーをかけ続けた。それでもマクラーレンはカスタマー仕様のフォードHB、シリーズ5で開幕を迎えざるを得ず、セナは“1戦=100万ドル”というスポット参戦契約で開幕戦の南アフリカに現れた(一番のとばっちりを受けたのは、ロータスからマクラーレンに移籍してきたミカ・ハッキネン。アンドレッティはフォードとの関係から外すことはできず、セナの登場でハッキネンはフル参戦のシートを失い、テストドライバーに甘んじることになった)。

93年当時のF1はハイテク全盛の時代。大半のチームがセミオートマ化を果たし(前年92年はマニュアル車が全体の80%以上を占めていたが、93年はセミオートマ車が約60%を占めた)、トップチームはこぞってアクティブサスペンションやトラクションコントロールなどのハイテクデバイスを投入した。この時代を支配していたのはウイリアムズだが、彼らのシステムは非常にシンプルで、誰にでも扱いやすく“即戦力”を求めたものだった。反面、マクラーレンは高度な技術を求めた。実際、93年最終戦時のMP4/8は、チャンピオンマシン、ウイリアムズFW15Cを凌駕するパッケージングだったと言っても過言ではない。

前年92年にホンダと共に開発したフライ・バイ・ワイヤーを軸にしたセミオートマチック、“プログラミングギヤチェンジ”は、ほぼフルオートマの領域に達する完成度を誇り、シーケンシャルタイプのウイリアムズの技術レベルを大きく上回っていた。同じくホンダと共同開発し、前年のイタリアGPで試験的に登場させたアクティブサスペンションは、ドイツのビルシュタインとの開発でついに本格投入に踏み切る。ただ、“フルアクティブ”と呼べるホンダとのシステムはあまりに実用性が低かったため、MP4/8に搭載されていたのはウイリアムズのシステムにより近い“セミアクティブ”という解釈が適当だったかもしれない。初期仕様のアクティブサスペンション(フロント)はアンチロールバーのリンケージが残され、パッシブサスペンションに即座に戻せるようになっていたが、第10戦ドイツGPに投入されたアップデート仕様では、プッシュロッドのベルクランク先端にリンケージもアンチロールバーもなく、すべての役割をアクティブシステムがまかなうように改良され、より進んだシステムとなっていた(このアクティブサスペンションは第8戦フランスGPからフットワークにも供給され、鈴木亜久里はその恩恵もあって予選トップ10の常連となっていく)。非力なフォードHBのハンデを克服するべく、マクラーレンはTAGエレクトロニクスに専用のエンジンマネージメントシステムを開発させるが、それでパワー不足が解消されることはなかった。

セナは日本のテレビカメラを見つけては、「いつも寂しいから、ホンダの人たちに帰ってきてほしい」というコメントをしきりに発していた。もちろんパワーのあるエンジンが欲しかったことに違いはないが、ホンダとの強い心のつながりを恋しく思っていたのだろう。

第8戦フランスGPでセナは残り全レースに参戦する契約をようやく結んだ。同時にそれはマクラーレンがフォードのワークスエンジンを手に入れたという意味でもあった。フォード、ベネトン、マクラーレン3者の合意により、最新スペックを手にしたマクラーレンは、第9戦イギリスGPからシリーズ7と最新のシリーズ8も搭載できるようになった。これで同じHBユーザーのベネトンに対してエンジン面での劣勢はなくなったが、マクラーレンはそれに満足してはいなかった。独占供給が可能で勝てるエンジンがなければ、いずれセナはチームを去ってしまう……。

シーズンも終盤の9月半ば、ポルトガルはエストリル。ランボルギーニV12を積んだMP4/8Bと呼ばれる純白のマシンをセナはテストした。これは完全に94年シーズンをにらんだもので、セナはイタリア製エンジンのパワーを高く評価するも、その数日後に念願だったウイリアムズ入りを発表してしまう。同時にランボルギーニとの交渉も破談に終わり、マクラーレンは94年のパートナーとしてプジョーを選んだ。その決断があと少し早ければ、歴史は大きく違っていたかもしれない。

結果的にセナはMP4/8で5勝を挙げた。ウイリアムズFW15Cを駆ったチャンピオン、アラン・プロストが7勝だったことを考えると、いかに善戦したかが分かるはずだ。天候を味方につけた奇蹟の走りもそうだが、5勝のうちブラジルGP、ヨーロッパGP(ドニントン)、モナコGPの3勝がカスタマーエンジンであることを忘れてはならない。アイルトン・セナというドライバーの天性の才能を遺憾なく見せつけたマシンとして、マクラーレンMP4/8は歴史にその名を刻む。

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