
第22回 F1取材人生とシューマッハー 後編「シューミーとコリーナとトッドとオレ!」
前回はケンサワとシューマッハーデビュー時のなれそめ(ちょっと強引!?)を掲載しましたが、今回は後編です。ケンサワとシューマッハーの運命めいた不思議な関係。まだまだエピソードは尽きません。普段はあまり表には出てこない、シューマッハーの婦人コリーナさんが登場します。
(上)閉じこめられた空間は、シューミーの濃密なプライバシーを感じさせる空間であった。けんさわは臆せずシャッターを押し続けた 。 (下)記者会見場から出た直後、ほぼベストポジションにつけたけんさわ。生涯有数の、記憶に残る1枚を撮影できた



レーシングオン、F1速報の契約グランプリフォトグラファーとして、1990年から2008年まで約20年間にわたりF1を取材。またF1速報では91年から2008年まで連載コラムを執筆。さらに1999年からはホームページ上で「サーキット便り。」を発信。F1現場からの生の情報は人気を集め、1日最大40万ページビューを記録するなど多くのファンを獲得した。F1速報ファンミーティング(通称:けんさわ祭り)のプロデュースも行うなど、フォトグラファーの仕事以外でも活躍。さらにカートドライバーとしても全日本級の活躍。現在は地元・札幌でカートショップO&Kを経営している。2008年イギリス GPを最後に、F1現地取材にいったんピリオドを打つ。
その年、2004年。シーズンを完全に掌握し、18戦13勝、表彰台15回と圧倒していたミハエル・シューマッハーが通算7度目のチャンピオン獲得を決定したのがスパ・フランコルシャンだった。奇しくもF1デビューを飾り、予選7位、決勝0周リタイヤながらも衆目の高い評価を受け、次戦からのベネトン電撃移籍を可能にした思い出のサーキットだった。地元ケルペンからも近いスパでのチャンプ獲得で、熱狂する観客を前に表彰台で派手なパフォーマンス。表彰式を終えると三人の表彰台ドライバ−はテレビインタビューをスタジオで受け、その後メディアセンターでの公式記者会見に出席する。公式記者会見では優勝ももちろんだが圧倒したシーズンを振り返り、チャンピオン獲得の喜びのコメントを求めるメディアからの質問攻めにシューマッハーは真摯に答えていた。通常の記者会見よりもやはりチャンピオンを決めたレース後の会見だけに、とても長い時間の質疑応答だった。
ベルギー、スパは記者会見場が当時3階にあり、記者会見を終えたドライバーは外階段を降りるのだが、気の向いたドライバーは会見場から外に出た屋上から、階下の観客に向けて勝利のアピールをすることが多かった。名物コーナーのオー・ルージュに向かう下りのストレートに、数万の観客がシュプレヒコールを繰り広げてドライバーが来るのを待っているからだ。
我々カメラマンは、その階上のパフォーマンスを撮影するのが慣わしだった。特にシューマッハーは、そのパフォーマンスをスパで勝利した後には必ず行う。ましてや今日はF1世界選手権チャンピオンを決めた記念すべき勝利だ。カメラマン同士、撮影する場所を確保し合い、屋上だけに落下の危険のないように慎重に場所決めするのである。
例年同様に、カメラマン達はシューマッハーが記者会見を終え、屋上に現れるのを待っていた。テレビのインタビューが5〜10分、合同記者会見が15〜20分というのが、だいたい通常の進行だった。
しかしその年は、記者会見が白熱し、異様に長い時間が経っていた。カメラマンの場所取りに加わらず、遊軍で自由に立ち回ることを良しとしていた筆者は「おっせーなー、おっせーなぁー」とウロウロしながらやきもきしていた。
屋上から記者会見場の中までは通路を通って10メートル程だ。入り口ドア、二枚目のドア、そして会見場のドアと都合3枚のドアがあった。記者会見場から屋上に出て来るルートと、反対側からも出られるルートがあったので「もしや」と思い会見場に様子を見に行くことにした。ほんの10メートル程だ。すぐ、数秒で見に行ける。見に行けるが、場所取りしている人は動けない。「チョッと見てくるわ」と言って会見場に入って行った。
会見場に入ると、ちょうど会見が終わることを司会者が告げていた。となれば、遊軍の立場。会見場を離れるシューミーの姿も撮影しようと体制を取った。会見場には会見の様子を撮影していた10人を超えるカメラマンがおり、彼らも会見場から出るシューミーの撮影に備え移動を始める。
会見席を離れ、通路の方に歩みを進めるシューミー。カメラマンがスクラム状態で撮影を開始する。短い通路は狭く、押し合いへし合い状態になり少し混乱しそうだった。フェラーリチームの広報担当が「出てー、出なさーい。カメラマン!でなさーい」と叫び、会見場の警備員がカメラマンの排除を行う。カメラマン達は、この通路の後シューミーが屋上でパフォーマンスを行うことを予感していたから、出ろと言われてすぐに出て行く。筆者もそれに続こうとしていたはずだが、何故か3枚あるドアの外に通じるドアと会見場のドアが突然閉じられた。
「おっとー、閉じ込められちゃったかー?」と一瞬思う。しかし、目の前で。目の前では今日、たった今F1総合王者を決めたシューマッハーと奥さんのコリーナと、そして監督のジャン・トッドが歓喜の抱擁をしているのだ。
自分達だけの感涙の時間を取れるタイミングを探していたのだろう。そして今、その瞬間が目の前にある。
シャッターを押す。
シャッターを押す。
何かおかしいなと思った。なせならば、シャッター音が自分のカメラからしか聞こえてこないのだ。
短い通路。閉じられたドア。抱擁する3人。それにフェラーリの広報、警備員、もう1人なぜか撮影していないカメラを持った人がいたと思う。
たったそれだけの空間。あの喧噪のF1の会場にいることを忘れる静粛な空間で時が流れている。
撮影音を聞かれた以上警備員に叩き出されるだろうと思ったから、もうそこからはジャンジャン撮った。出される前に撮り切ろうと思った。でもなぜか排除されないのだ。警備員も広報担当も、その場にいた人間全てが静粛を保つことを優先し、排除に伴う喧噪を嫌ったのか。
三人が抱き合ったまま、口々に喜びと感謝と感激の言葉を掛け合っている。時間が止まっていた。いったいどのくらいの時間なのか、記憶では計り知れないし、思い出しても分らない、不思議な時間だった。
心臓が止まりそうになる。さすがの筆者も、見守る側に回ってシャッターを押す手が止まった。
長くも短くも感じた抱擁が終わり、屋上に通じるドアが開かれ、外の喧噪が襲いかかって来る。夢から覚めたような瞬間。数万の観客がシューミーコールを繰り返している声が聞こえる。その声に応えるように、屋上からバルコニーに走り出て手を振るシューミー。
もう怖いものはなくなっていた筆者は、場所取りしているカメラマンよりももっと外側でいちばん危険と思われるバルコニーの手すりの外に出て撮影敢行。生涯有数の、最高の作品を撮影することができた。なにか宗教的な時間を感じたのであった。
なぜあの時、
なぜあの場所に。
なぜ取り残されて、
なぜ撮影を許されて
なぜ排除されなかったのか。
今でもあの時間を彼らと共有してしまったことを不思議に思っている。