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F1写真家けんさわの世界漫遊20年 “なまらF1記”

第27回 決定的瞬間の撮影とカメラマンの覚悟

F1カメラマンをしていて、何といっても「1発決めっ!」とされているのがクラッシュやオーバーテイクの決定的瞬間の撮影。けんさわはこの分野では最初から最後まで最前線で活躍して来た自負があります。ベテランジャーナリストにして「あまりにもチャンスに強いので、けんさわっていう芸名で数人のカメラマンが共同撮影しているのかと思った」と言わしめたほどでした。


決定的瞬間の撮影とカメラマンの覚悟

トップドライバー同士のバトルは美しい。文字どおりマンセルとセナによる火花散る攻防(写真上/91年スペインGP号)。初開催のメルボルン、ブランドルのマシンが宙を舞う大アクシデント。金網に登って決定的シーンをレンズに収めた(写真中/96年オーストラリアGP)。01年のビルヌーブの事故は、けんさわが2周前まで撮影をしていたまさにその場所にマシンが突っ込んだ(写真下/01年オーストラリアGP)

プロフィール

けんさわプロフィール

澤田賢志(さわだ・けんじ)通称けんさわ。1960.8.21生まれ 獅子座 A型(RH+)

レーシングオン、F1速報の契約グランプリフォトグラファーとして、1990年から2008年まで約20年間にわたりF1を取材。またF1速報では91年から2008年まで連載コラムを執筆。さらに1999年からはホームページ上で「サーキット便り。」を発信。F1現場からの生の情報は人気を集め、1日最大40万ページビューを記録するなど多くのファンを獲得した。F1速報ファンミーティング(通称:けんさわ祭り)のプロデュースも行うなど、フォトグラファーの仕事以外でも活躍。さらにカートドライバーとしても全日本級の活躍。現在は地元・札幌でカートショップO&Kを経営している。2008年イギリス GPを最後に、F1現地取材にいったんピリオドを打つ。

ビギナーズラックってありますよね。直訳すれば「初心者の幸運」ってことなんでしょう。モノゴトを始めたばかりの頃には幸運に恵まれることが多いと。
僕の取材歴は、そんなビギナーズラックから始まったのかもしれません。そもそも写真の勉強をしたことのないプロカメラマンです。キレイな写真や芸術的な写真も撮影しますけど、そりゃその方面の専門家の方が“より素晴らしい”んじゃないかって、最初っから思ってました。
だけど、レーシング、特に本番レースでのレース写真の分野なら、生き残って行ける可能性を感じていたので最初っからもっぱら「決定的瞬間」を撮ろうとしたのでしょう。
狙っているから撮れるほど簡単なことではないのでしょうが、それでもチャンスには恵まれた方だったように思います。

スクープ写真を撮影しているカメラマン達が口を揃えて言っていることを聞いて「あ、オレと同じだ」って思ったことがあります。
それは「何がどうなって、それでどうするか、先読みしないと撮れない」ってことでした。芸能人のスクープ写真とかが流行っていた時代だったんですよ。『フォーカス』とか『フラッシュ』など、写真雑誌が大手を振っていた時代。そんなカメラマン達の仕事ぶりを聞き及んで、同じだなあって思っていた記憶があります。

あと、イタリアのF1カメラマンの重鎮氏が述べていた「フォトグラファーは常に準備ができていなければならない」という言葉にも影響を受けた。
クラッシュやオーバーテイクは予測不能だと思う人も多いですが、実際の現場では「来る!」って準備しているカメラマンがやはり強い。いつでも来い!って準備ができていないと、いざという時に驚いちゃって撮影できない。そういう重みのある言葉でした。

F1速報が始まってから5年程は、ほぼ全ての速報掲載写真を僕ひとりが担当していましたから、レース写真ばかりに集中しているわけにも行きませんでしたので工夫が必要でした。
スタートを撮影してからの「コース割り」の計算です。撮影しながら誰が速いとか、ピットインのタイミングとか様々なレースでの事象を見続けながら撮影を進めて行くのです。
そうしながら単体の走りや情景写真や観客の様子を撮影するルーティーンをこなしていきます。バトルモードに突入すると感じたら、しかるべきコーナーに移動して、絡みの写真を撮影するモードに切り替えて、場合によっては最初の1コーナーまで戻ったりしていました。予選までの間に全コーナーでの撮影をこなし、移動に際しての障壁を理解していたので迅速にポジションチェンジができるのも強みでした。
カメラマンの中にはレース展開には全く興味を示さないタイプの方もいるのですが、僕はその真逆でレース展開にのみ興味を抱いてきたタイプ。
「あのドライバーはタイヤがヤバいなあ、これだと早めのピットインかなあ」なんて考えながら「だったらアレがこうなって、終盤にトップ争いに変化があるかもなあ」なんて想像しながらの撮影が楽しかったんですね。

F1マシンを1台単体にした撮影を行っている時には、正面ならいわゆる長玉の500~600ミリレンズとか、横走りなら300ミリとかでガシガシ撮っているんですけど、オーバーテイクなどを撮るためにはレンズを変えて待つ必要があることも多いので、そのあたりの読みが面白かったです。

そういう読みがバッチリ決まった思い出の瞬間のひとつが、佐藤琢磨とヤルノ・トゥルーリが鈴鹿のシケイン進入で絡んでしまったシーンの撮影。
あの時間帯だと、多くのカメラマンはマシンの単体撮影している頃だったと思うのですが、あえて短めのレンズに持ち替えて待ってました。追う展開になっていて「来るとしたらシケインだ」という確信があったので早めにシャッターを切り始め、一部始終を撮影できたのが快感でしたね。まあ、応援しているドライバーのクラッシュだから心境は複雑だったけど。

同じように「追う展開で、抜きに来ると確信」していたのには1997年最終戦ヘレスでの一件がありました。チャンピオン争いをしているジャック・ビルヌーブとミハエル・シューマッハーが絡んだアレです。
ジャックが追って追って追って、マイケルに迫る展開で、オーバーテイクするとしたらココだなと待ってた。
オーバーテイクの際に、抜かれる側のマイケルが幅寄せしてジャックに当てたことから、後に審議になりマイケルのそのシーズンのポイント全てが剥奪される事態に発展した大事件の瞬間でした。完全に抜かれちゃってるのにガッツリぶつけてにいったので、撮影直後は「ギョヘーっ、やちゃったよぉ~」って驚愕しましたね。マシンを降りたマイケルを撮影しながら、めっちゃ手応えあったっけなあ。

あと自分自身がとても好きな瞬間カットは、ナイジェル・マンセルとアイルトン・セナがバルセロナのメインストレートでマシンを擦り合せながらサイドバイサイドで1コーナーに向かって来るところを真っ正面から撮影した時のもの。1991年ですね。真っ正面だったからなあ。カッコいいんですよ(笑) 互いにボトムから火花散らしながらで美しいのなんの!
究極的なトップドライバーのバトルは美しいのよ。ホントに撮りながら感動することって少ないんだけど、あの時は撮ってて感動すらしたんですよぉ。
もうとっくに1コーナーを離れていなければならない時間だったけど、あえて陣取ったお影で撮影できたのもあるし、もの凄い名勝負を数々重ねて来ているふたりの距離感の近さを写真に残せた喜びもあったので「生涯ベストフォト10点」に入れちゃう系の1枚だよなあ。

21世紀になるとピットでの順位変動が多くなって、コース上での抜き差しが減り撮影機会が少なくなったので消化不良になりましたねえ。それでも狙うんですけど、チームの指示で「ムリな抜き方をするリスクを回避する」方向になって行ったのがとてもつまらなかったです。

スタート時のクラッシュは、それこそ枚挙にいとまがないほど撮影しましたけど、スタートはまあ、多くのカメラマンが陣取っているのでみんな同じように撮っている、だからあまり印象に残っているモノは少ないんです。
スタートでもあえて1コーナーではない場所を“狙って”撮影していて、思った通りにデキゴトロジーが撮影できると快感です。

初開催時の96年のメルボルン。1コーナー撮影スタンドの下まで行ったのですが、ちょっと思いとどまって場所を変えたんです。初開催なんだから普通に1コーナーで撮れば良いんだけど、そうしなかった。1~2コーナーのS字を立ち上がった後の3コーナーに陣取ることにしたのは勘と言うか思いつきでした。で、スタートするとマーティン・ブランドル(当時ジョーダン)が他車と絡み合ったあげくに僕にに向かって飛んで来た。まさにこっちに向かって飛んで来るので危険の固まり(笑)。
数人いた他カメラマンは早めに逃げてたけど、自分はギリギリ最後までシャッターを切り続けられたことを当時は誇りに思ったものでした。
狭い撮影場所で撮影用の穴も小さくて、確か金網によじ上って撮影したんですよ。
なにかあることを前提で行っているので、やや短めのレンズを使用したので金網に登って撮ることができた。
ずっと登っていると警備員に怒られるので、直前まで下にいて、スタートの瞬間によじ上って撮影したまさにギリギリショット(笑)。
その時はその場所にカメラマンが4~5人で、そのうちふたりは「けんちゃんに付いて行ってクラッシュ撮るぞー」って一緒に行ってた同邦カメラマンでした。撮影者の人数が少ない貴重な1枚ということは、カメラマンには大きな喜びなんです。

同じ場所では2001年にビルヌーブが飛んで、外れたタイヤでマーシャルが亡くなったクラッシュも撮影したのですが、その時は出会い頭で長玉を付けたままでの撮影。
一瞬の出来事だったので、長玉を振ってかろうじて数枚のカットを撮影するのが精一杯でした。でも真横になったビルヌーブのマシンが鮮明に撮影できていて、前述の「フォトグラファーは常に準備ができていなければならない」という言葉を思い起こす一瞬でした。
その時恐怖に思ったのは、そのクラッシュの直前(2周前)までブランドルのクラッシュを撮影していた時と同じ場所で自分が撮影していたことでした。
もしその場所で撮影を続けていたら、ブランドルの時とは違い、自分の体にもなんらかの影響があっただろうことは間違いなかった。
金網を舐めるように飛んで行ったビルヌーブのマシンは、あそこにいれば確実に僕の手足を吹っ飛ばして恐らく大怪我してただろう。横からの撮影位置に移動していたから無事だった、ラッキーといえばそれまでだけど、こうして現在も健勝にしていられるのは、そういったツキに負うところが大きいように思います。

最悪の事態を想像しながら、現場に走ったことも数々ありました。もっとも記憶に残っているのは片山右京がスタートで大クラッシュを喫した95年のポルトガル・エストリル。
スタートの混乱で右京のマシンが飛び上がり回転しながら落下し、転がった。
1コーナーのガードレールサイドから多数のカメラマンが撮影していたのですが、誰もが口々に「アレはヤバイんじゃないのか?」ってつぶやいた壮絶なクラッシュです。
クラッシュ発生とほぼ同時に赤旗が出て、レースは中断。即座にレスキューが始まりましたが、ドライバーがコックピットからすぐに出てこないので「ヤバイ、ほんとにヤバイ」って僕も思いました。
もう走っていました。
1コーナー脇の撮影場所から、一度コース外に出てコースをくぐる地下道を通って現場に走って行った。
距離にして1キロくらいなのだろうか。
走って行って、レスキューされる様子を撮影に入ったけど、もう必死を飛び越えて「ZONE」の領域に入っての行動でした。
後から仲間に「死んでるか、大怪我してると思ったから、けんちゃんが走って行った時には勇気あるなあって思ったよ」って言われたが、状況判断して走ったわけではなくて体が反応して全力疾走していた。
右京というドライバーはカメラマンやジャーナリスト達とのコミュニケーションをとても大切にしてくれる男で、我々の多くが右京のファンだ。
その右京の万一の事態を想像していたら、僕も体が凍り付いて現場に向かえなかったかも知れない。でも逆に、一部始終を記録に残してやる!という気概もあるのであって、現場に向かって必死に走っている時にZONE領域に引きずり込まれたように思う。

現場までかなりの距離を重い機材を引っさげてダッシュして行ったが、スムーズに撮影に入りレスキューの様子や壊れたマシンを押さえた。

翌日、救急搬送された病院にお見舞いに行き、右京の思ったよりもずっと元気な姿と対面するまでは複雑な心境だったが、いつものように軽口でジョークを飛ばすことのできる右京を見て「ああ、カメラマンって因果な商売だなあ」と思ったものだ。

例え仲間が死ぬようなことになったとしても、その最後の瞬間まで撮影して全てを残すぞという覚悟を、その時あらためて心に誓った。
壮絶な覚悟だが、それが自分の業だと思っている。


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次に続く

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